管理人のbanです。今回は、プロフェッショナルにも出演したプロゲーマー「梅原大吾」の歴史と優勝履歴 まとめをご紹介させて頂きます。
今回は「梅原大吾」選手のプロゲーマーになるまでの道のりと優勝履歴をご紹介させて頂きます。
それではどうぞ
梅原大吾のプロフィール
本名:梅原 大吾(うめはら だいご)
年齢:1981年5月19日生まれ(37歳)
性別:男
愛称:Daigo、The Beast(=野獣)
職業:プロゲーマー(専門ゲーム:格闘)
ウメハラ選手は、15歳でメーカー公認のオフィシャル全国大会にて優勝し、日本一になり、17歳の若さで世界チャンピオンのタイトルを獲得した。
2010年4月 23歳の時にアメリカの大手周辺機器メーカー「Mad Catz」と、スポンサー契約を結び、プロデビューを果たした。
以降、格闘ゲーム界のカリスマとして、18年間にわたり世界の頂点に立ち続ける。
VO2013(=大会名)では5年連続ベスト8入りし、大会歴代記録を更新した。
同大会にて2年連続優勝(2009年&2010年)も記録となっている。
ラジオやテレビ出演をはじめ、企業や大学などからも招待を受け、特別講師としても活躍している。
2016年2月に開始したTwitch配信は、日本ダントツ1位、世界でも格闘ゲーム部門で1位のviewer数を誇っている。
格闘ゲームを始めたきっかけ
ウメハラ選手のお姉さんがきっかけでゲームセンターへ行くことになり、13歳でゲームセンターを覚え、それからゲームセンターで対戦型格闘ゲームを始めるようになった。
意外かもしれないがウメハラ選手は、格闘ゲームにどっぷりハマるまでは、実は学校のクラスのリーダー的存在であった。
しかし、ゲームにハマっていくことで、次第に友達との会話になじめず、周りから離れていき更に格闘ゲームの世界へ没頭していった。
1994年13歳の中学生の頃に『スーパーストリートファイターⅡX』で才能が開花した。
当時好んでいた『ヴァンパイアハンター』では、286連勝という記録を残している。
(この記録も負けたわけではなくお店の閉店時間がきたことで強制終了した為、286連勝となっている)
23歳で人生の転機
23歳の時に日本人初のプロゲーマーとして、契約をすることとなったが、ここまでの道のりは、決して順風満帆とは言えなかった。
当時プロゲーマーという職業はなかった為、ゲームで食べていこうという考えはなく、高校を卒業後、フリーターで色々なアルバイトを点々としながら生活費を稼いでいた。
アルバイトでは1週間でクビになったり、はたまた面接時に不合格を通知されたりであまり覚えが良い方ではなかった。とウメハラは語っていた。
そんな時期を過ごしていたが、23歳の時(海外のゲーム業界ではウメハラは有名な人物として既に知られている)、当時働ていたアルバイトには同世代のアルバイト仲間が4人もおり、そのアルバイトは比較的長く続けられた。しかし、そんな時期も長くは続かなかった。
同年代のアルバイト仲間は、一斉に就職していったのだ。その時に、自分の将来が不安になり、ゲームでは食べていくことができない為、自分の経験値を活かせる世界で稼ごうと考えた末、麻雀の世界へ行った。
雀荘で働きながら麻雀を学び、3年で食べていけるようになるまでになったが、しかし、格闘ゲームではあった「本当の好き」という部分が見いだせず、麻雀で食べていくことへの気持ちが徐々に下がっていき、麻雀の道もやめてしまう。
その後、勝ち負けのある世界に疲れ、勝負のない世界で生活したいと考え、親が医療関係の仕事で働いていたこと影響もあり、介護の仕事をすることになる。
格闘ゲームとは離れて勝ち負けのない世界で普通の生活することに慣れてきた。が、ここでウメハラの人生を変えるゲーム「ストリートファイターⅣ」が発売されたのだ。
友人たちから、何度も誘われる為、一度だけと思い付き合いでゲームセンターへ行ったら、相当なブランクがあるものの勝てる勝てる。その時に、格闘ゲームへの情熱を思い出し、格闘ゲームを再開した。(まだ、この時は趣味である)
そんなある時に海外の大会にウメハラは参加しないかと招待された。ウメハラは悩んだが、生涯海外に行くこともないと思い招待を受けた。(海外のゲーム業界ではウメハラは有名であった)
そして、その大会でまさかの優勝。
大会は大盛り上がり。
その時に後の日本人初プロゲーマーの最初のスポンサーとなる「Mad Catz」がプロとしてやらないかとスカウトしたのだ。
そして、ウメハラはプロゲーマーとなった。
背水の逆転劇
この勝負をきっかけにウメハラの名前は爆発的に知れ渡った。2004年に開催されたEvolutionの『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』部門にて、ウメハラ対ジャスティン・ウォン(アメリカ)の対戦でそれは起きた。
ウメハラは「ケン」を使い、ジャスティンは「春麗(チュンリー)」を使っていた。第1試合第3ラウンド。このときケンの体力はほぼゼロで、春麗の「鳳翼扇」を一度でもガードすれば即KOの状況。
ジャスティンの春麗は、梅原のケンに必殺技をガードさせて、体力を少しずつ減らして勝負をつけようと超必殺技の「鳳翼扇」を放った。※鳳翼扇(ほうよくせん)とは左右交互の足で百裂脚を繰り出し計14回の蹴りを放つ技である。回避するためにはブロッキングにより全てを捌くしか無かった。
ブロッキングとは…
相手の攻撃が当たる直前に、前方もしくは真下にレバーを入れることで、攻撃を受け止めるシステム。成功するとダメージを完全に無効化すると同時に、相手に一定の追加硬直時間を与え、通常のガードよりも早く動くことができる。
しかしブロッキングはタイミングがシビアで難易度が高く、連続してキックが繰り出される「鳳翼扇」をすべてブロッキングするのは、超高難度である。
しかも、観客も大勢いる中の大舞台の為、更に難易度は上がっている状況である。
ウメハラの現状+難易度を10段階評価で例えると、こうである。
一流プレイヤー同士でのブロッキング成功・・・7段階
観客も大勢いる中でのブロッキング・・・8段階
大ピンチの状態でブロッキング・・・9段階
鳳翼扇14回をすべてブロッキング・・・10段階
「鳳翼扇」を放たれた瞬間、誰もがその瞬間ウメハラの負けを予想した。
しかし、ウメハラだけは違った。
ウメハラのケンが次々と14段の蹴りを全てブロッキングで捌いたのだ。
しかも、春麗は反撃でキックをしてきたが、ケンはジャンプから空中ブロッキングしすかさず反撃の「飛び蹴り」→「足払い」→「中昇龍拳」、そして超必殺技「疾風迅雷脚(しっぷうじんらいきゃく」を叩き込み、まさかのスーパーウルトラ逆転KOに成功したのだ。
観客も大興奮。
神業だ。
そんな人間離れした技をいとも簡単にやってしまうのがウメハラのすごさだ。
後ほど紹介するが、この戦いは、動画視聴のギネス記録に認定されている。
スポンサー最多契約
日本人プロゲーマーの中でスポンサー最多契約しているスポンサーは5社です。
NO | 会社名 | 来歴 |
1 | レッドブル | 2016年5月14日、オーストリア大手飲料会社レッドブルと契約を結ぶ。 |
2 | Twith | 2016年6月4日、Amazon提供のライブストリーミング配信プラットフォーム、Twithと契約を結ぶ。 |
3 | HyperX | 2016年12月1日、アメリカのKingston Technologyの製品ブランド、Hyper Xと契約を結ぶ。 |
4 | Cygames | 2017年3月3日日本の株式会社Cygamesと、アメリカのPr BalrogとSnake Eyesと共に契約を結ぶ。 |
5 | NSURGO | 2017年5月24日様々なキャラクターグッズを手がけているNSURGOと契約を結ぶ。 |
今まで優勝してきたタイトル
梅原選手がいままで優勝してきたタイトルは以下となります。
優勝した年 | 優勝した大会 |
1997年 |
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1998年 |
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2000年 |
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2003年 |
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2004年 |
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2005年 |
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2007年 |
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2009年 |
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2010年 |
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2011年 |
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2012年 |
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2013年 |
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2014年 |
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2015年 |
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2016年 |
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2018年 |
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2019年 | ー |
ギネス記録
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は、プロフェッショナルにも出演したプロゲーマー「梅原大吾」の歴史と優勝履歴をご紹介させて頂きました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
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コメント
日本初のプロゲーマーはFPS関係の方で、ウメハラさんではないですよ
ヒゲ 様
管理人のbanと申します。
この度はご指摘頂きましてありがとうございます。
早速記事を修正させて頂きました。
また、なにかお気づきのことが御座いましたら
ご指摘いただけますと幸いです。
改めてありがとうございました。