一度開発中止になった!?「プレイステーション」の歴史を紹介

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毎度同じみbanです。

 

みなさんは、日本で流行したゲームと言えばどれを思い浮かべますか?ファミコン?、スーパーファミコン?世代ごとに色々とあると思いますが、今回はソニーが産んだ超人気のゲーム機、プレイステーション(通称:プレステ)について、ご紹介したいと思います。

 

プレイステーションが一度開発中止になった!?初代プレステ開発時にまさかの出来事が起きました。

 

それではどうぞ。

 

 

伝説のゲーム機「プレイステーション」の誕生

正式名称は、Playstation(プレイステーション)。1994年12月3日に販売された家庭用据え置き型ゲーム機。販売元は、ソニー・コンピュータエンタテイメント。累計出荷台数1億2000万台とすさまじい台数を販売した。

 

1990年代当時は、ゲーム機の競合として、セガ・エンタープライゼスの「セガサターン」。任天堂の「NINTENDO64」など強烈なライバルがいた。

 

そんな中でのプレイステーションの開発であった。また、当時では画期的だったのが、データの保存方法である。当時ではゲームカセット内にデータを保存するのが主流だった。しかし、プレステではメモリーカードと呼ばれるカードがあり、そのカードの中にデータを保存するようになっていた。メモリーカードは別売りで販売されていたが保存できる容量も決まっていた。その為、空き容量が足りずにメモリーカードを5枚、6枚ももっていた強者もいた。

 

プレステの開発当秘話

当時ゲーム機のソフトは、現在のようなCDやデータはなく、カセットタイプが主流だった。当時ソニーは任天堂と共同開発する予定であった。その時の開発について、任天堂は消極的であった。しかしソニーの久夛良木は、京都の任天堂本社に通い「CD-ROMでやるべきだ」と粘り強く進言し続けた。結果、任天堂側が折れて開発GOがでた。

 

当時の久夛良木は業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」をゲームに転用してビジネス化出来ないかと考えていた。ただし、当時ソニー内ではソニーのイメージを損なうとしてゲーム事業への進出に反対する社員が多く、久夛良木自身も「異端児」と呼ばれており逆風が強かった。

 

この事業にゴーサインを出したのが当時社長の大賀典雄である。1989年10月から共同開発が始まり、翌1990年1月にはソニーと任天堂の間で両社の締結をした。開発コードネームは「プレイステーション」。

 

計画では、CD-ROMアダプタは玩具流通で任天堂ブランドで発売。スーパーファミコンとCD-ROMの一体型マシンはソニーが発売。価格は49800円を予定。のはずだった。

 

問題が起きた。1991年シカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、誰もが、プレイステーションの紹介がされると思っていた。

 

ソニーがプレイステーションの試作機を発表したが、任天堂はソニーとの共同開発計画ではなく、フィリップスとの提携と、CD-iでのゲーム開発を発表。すなわち、任天堂が裏切った形となった。

 

当時のコンシューマー機のソフトは、ファミコンやスーパーファミコンで使っていたROMカセットが主流であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていたため、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。

 

しかし、当時の任天堂米国法人社長だった荒川寅は、アメリカのコンピューター業界でのCD-ROMの躍進ぶりを目の当たりにし、このままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き裏切ったのだ。この裏切りは数日前に任天堂からソニーに伝えられたが、久夛良木までは伝わらず、新聞報道で初めて知ったという。

 

ソニーは抗議したものの、任天堂の決定は覆らなかった。

 

ソニー社内ではソニーだけの力では厳しいと判断され、開発を中断した。既にソフト製作は進めていた為、15億円の損失を出した。これらの騒動により、久夛良木ら開発陣は社内での居場所を無くすが、大賀典雄の判断により、ソニー・ミュージックエンタテイメントのゲーム部門に一時的に避難させられることになった。

 

1992年ソニー経営会議で、ゲーム事業への継続有無の議論になった。大半の役員が反対意見を投じる中、久夛良木は、なんとか継続させたい旨懇願した。その時、試作品はほぼ出来上がっていた。交渉の結果、開発再始動が決定しソニーはゲーム事業へ進出した

 

1993年正式にプロジェクトが再始動。1993年11月株式会社ソニー・コンピュータエンタテイメントを設立。そして、1994年紆のちに伝説となる「PlayStation」が産声をあげた。

 

プレイステーションは発売後、すぐに数字を伸ばし、並みいる強豪を抑え、ゲーム業界のトップに君臨した。人気絶頂時には、出すソフト出すソフトすべてがミリオンセラーとなった。

 

プレステの人気ソフト 出荷ランキングベスト20位

1位

ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち(エニックス) 

発売時期2000年 

出荷417万本

 

2位

ファイナルファンタジーVII(スクウェア) 

発売時期1997年 

出荷407万本

 

3位

ファイナルファンタジーVIII(スクウェア) 

発売時期1999年 

出荷370万本 

 

4位

ファイナルファンタジーIX(スクウェア) 

発売時期2000年 

出荷280万本

 

5位

グランツーリスモ(SCE) 

発売時期1997年 

出荷255万本

 

6位

みんなのGOLF(SCE) 

発売時期1997年 

出荷213万本

 

7位

バイオハザード2(カプコン) 

発売時期1998年 

出荷203万本

 

8位

ダービースタリオン(アスキー) 

発売時期1997年 

出荷200万本

 

9位

グランツーリスモ2(SCE) 

発売時期1999年 

出荷171万本

 

10位

クラッシュバンディクー3(SCE) 

発売時期1998年 

出荷150万本

 

11位

みんなのGOLF2(SCE) 

発売時期1998年 

出荷149万本

 

12位

パラッパラッパー(SCE) 

発売時期1996年 

出荷146万本

 

13位

バイオハザード3(カプコン) 

発売時期1999年 

145万本

 

14位

ファイナルファンタジータクティクス(スクウェア) 

発売時期1997年 

140万本

 

15位

鉄拳2(ナムコ) 

発売時期1996年  

137万本

 

16位

クラッシュバンディクー2(SCE) 

発売時期1996年 

130万本

 

17位

Dance Dance Dance Revolution(コナミ) 

発売時期1999年 

127万本

 

18位

ドラゴンクエストIV 導かれし者たちPS版(エニックス) 

発売時期2001年 

120万本

 

19位

バイオハザード(カプコン) 

発売時期1996年 

111万本

 

20位

チョコボの不思議なダンジョン(スクウェア) 

発売時期1997年 

110万本

 

懐かしいゲームが多いですね。当時わたしは中学生だったと思いますが、ドラクエシリーズ、FFシリーズ、バイオシリーズなどはやりこみました。

 

伝説はまだ続く「プレイステーション2」の誕生

プレイステーションが発売された後、またしてもソニーが偉業を達成する。プレイステーション2の発売だ。初代プレイステーション発売から6年後、2000年にプレイステーション2は発売された。

 

DVDの読み込み。サラウンド環境に対応。インターネットに接続できる。当時のゲーム機ではありえないほどの最先端の技術が詰め込まれたゲーム機であった。更なる次世代ゲーム機が登場した2000年中盤まで世界1位の人気を誇っていた。

 

発売から3日で98万台の販売台数を記録。また、2001年10月には全世界累計出荷台数が2000万台を突破した。2005年には全世界で1億台の生産出荷台数を記録した。累計出荷数は、約1億5,000万台。

 

プレステ2は生産終了が既に決定している。2018年には最終モデルであるSCPH-90000の修理の受付を終了することが決まった。プレステ2発売後は、グラフィックの美しさを活かしたソフトが続々とでてきた。当時では、『鬼武者』が初のミリオンセラーに。また、「ファイナルファンタジーX」。FFXは200万枚以上を売り上げた。

 

2001年に任天堂が負けじとニンテンドーゲームキューブを発売。また、2002年にXboxが発売された。プレステ2を上回る性能とソフト開発の容易さをアピールしたが、プレステ2の牙城を崩せなかった。2004年時点で日本の据置ゲーム機の8割に上るシェアを握った。競争は激しいかったが時代の先端をいったソニーがトップに君臨していた。

 

プレステ2の人気ソフト 出荷ランキングベスト20位

1位

ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君(スクウェア・エニックス) 

発売時期2004年 

出荷380万本

 

2位

ファイナルファンタジーX(スクウェア) 

発売時期2001年 

出荷320万本

 

3位

ファイナルファンタジーXII(スクウェア・エニックス) 

発売時期2006年 

出荷260万本

 

4位

ファイナルファンタジーX-2(スクウェア)

発売時期2003年 

出荷241万本

 

5位

グランツーリスモ A-spec(SCE) 

発売時期2001年 

出荷189万本

 

6位

みんなのGOLF4 (SCE) 

発売時期2003年 

出荷169万本

 

7位

キングダムハーツⅡ(スクウェア・エニックス) 

発売時期2005年 

出荷160万本

 

8位

キングダムハーツ(スクウェア) 

発売時期2002年 

出荷160万本

 

9位

みんなのGOLF3(SCE) 

発売時期2001年 

出荷139万本

 

10位

真・三國無双3(コーエー) 

発売時期2003年 

出荷124万本

 

11位

グランツーリスモ4 (SCE) 

発売時期2004年 

出荷116万本

 

12位

真・三國無双2(コーエー) 

発売時期2001年 

出荷117万本

 

13位

ワールドサッカーウイニングイレブン6(コナミ) 

発売時期2002年 

出荷116万本

 

14位

ワールドサッカーウイニングイレブン9(コナミ) 

発売時期2005年 

出荷116万本

 

15位

ワールドサッカーウイニングイレブン7(コナミ) 

発売時期2003年 

出荷113万本

 

16位

ワールドサッカーウイニングイレブン8(コナミ) 

発売時期2004年 

出荷112万本

 

17位

鬼武者(カプコン) 

発売時期2001年 

出荷110万本

 

18位

鬼武者2(カプコン) 

発売時期2002年 

出荷110万本

 

19位

ワールドサッカーウイニングイレブン10(コナミ) 

発売時期2006年 

出荷108万本

 

20位

戦国無双(コーエー) 

発売時期2004年 

出荷107万本

 

 

プレステ2からグラフィックが初代と比べて格段にあがり、ゲームのリアリティが増していき

ました。アクションゲームは鬼武者、戦国無双がリアリティ性が高く当時は衝撃でした。

 

暗雲「PS ONE」の誕生

プレステ2と同年2000年にプレステの小型版PS ONEが発売された。

外出先でも遊べるようにする為、ポータブルのLCDモニターが発売された。

しかし電源の問題があったりとユーザーの受けはいまいちとなり、販売台数は伸びなかった。

累計出荷数は、約400万台。

 

PlayStation の最終型番 (SCPH-9000) をベースにした。

電源を外付けのACアダプタにしたりなど、従来機の約1/3に小型化した。

グッドデザインを受賞。

 

プレステ2の好調さであった為、PS one の販売台数は多くなかった。

現在は日本国内での製造、販売は終了している。

 

 

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まとめ

  1. 一度開発中止に追い込まれたが久夛良木によって、「プレイステーション」は産まれた
  2. プレイステーションは据え置き型ゲーム機として累計1億台以上売り上げた
  3. プレイステーションのソフトは、出荷台数20位すべてミリオンセラーである
  4. プレイステーション2のソフトも出荷台数20位すべてミリオンセラーである
  5. PS ONEは市場に受け入れられなかったのかあまり売れなかった。

 

 

プレステ3、プレステ4については、次の更新記事にてご紹介させて頂きます。ここまでご覧いただきまして有難うございます。次回もご覧頂ければ幸いです。

 

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